寂しげな音と波を立てながら揺れている水にゆっくりと脚を浸すと、指先から冷たさが体中をじわりじわりと侵していく。





あぁ……。あたし、これなら死ねるかもしれない。





あたしはそう心の中で呟くと、空っぽのボートから身を乗り出し、ゆっくりと水の中へと身を落としてた。




















初めに思ったよりも苦しみはずっと少ない。 冷たい水は確かにあたしの肌を刺激するのだけれど、なんてことは、ない。 恐ろしいと考える物事というのは、大抵やってしまえばなんともないのだ。
今回もそう。
怖くなんて、ない。ましてや痛みも苦しみも伴わないに等しい。






























口や鼻腔からぷくぷくと泡が出てきて水面に向かって上昇していった。 まるで寄り道をしているみたいに左右に揺れながら上昇していくのをぼんやりと眺めていると、あたしは笑えてきた。 あたしみたいに見えたからだ。
考えてみればあたしの人生は寄り道ばっかだけど、ぶっちゃけた話多分世間一般で言う散々な人生よりはずっとマシ、 むしろ、およそかけ離れたものだっただろうと自分でも思う。
それでもあたしは死にたいと思った。 望んでいるのはきっとあたしだけだけじゃないだろうし、この際不幸だったかそうでなかったかだなんてどうでもいい。 ただあたしはこれから死ぬ、というただその事実だけを受け入れる。
あっ、もちろんその受け入れるのは精神じゃなくて身体が、ね。
心はとうの昔に死んでいる。後はあたし自身の体が人間の本能に逆らって死ぬことを受け入れるだけ。




















そういえば死ぬ直前って自分のこれまでの人生が走馬灯みたいに一瞬で甦るんじゃなかったっけ……?
さっきから水に溺れて酸素なんて脳に巡っていない割りには今まで優秀だなんて少しも思えなかったようなあたしの脳みそはフル回転している。 さっき口から出たような気がする粟がまだ水面にたどり着かず、あたしと水面のちょうど間位の所をかなりゆっくりとしたスピードで上昇している ……というか左右に動いているのはわかるが、上昇しているかどうかは微妙だ。
なぜ……?
あぁ。とあたしは直後に納得する。
時間がとてもゆっくりと進んでいるだけだ、と。
走馬灯のように駆け巡る人生に、通常は想いを傾けるべきときを、あたしは人生の反省とかくだらない次長なんかに充ててしまったのだ。バカ。






























ゆっくりと時間が過ぎるのと、水中に引きずり込まれるのとに身を任せていると、不意に触手のようなものに絡まれる。 海の中にそんな物がいるとは少しも思っていなかったから、あたしは一瞬びくつく。 エロティックだと感じたが、今からしにいく人間にエロも何も関係ないと思ったからそのまま抵抗はしない。 触手に絡めとられるまま放っておくと引き揚げられていく。





……引き揚げられていく?





やめて。あたしは光に近付きたくない。





抵抗は酸欠で苦しむ脳には不可能だったらしい。 身体は動かずに意志だけが前のめりになる。




















ザバアッと音を立てて水からあたしは揚げられた。 あまりの眩しさに視界が逆に暗くなる。 頭もクラクラとする。 あんなにも死にたがっていたはずなのに、気付けば息をしていた。 引き上げられても呼吸を止めればよかったというのに。










「大丈夫か!?」





男の声がする。 男にしては少し高めな感じで、幼さも感じる。





「空っぽのボートがあったから死んでないか心配だったんだ。」



「……放っておいてよ。」





はっ!?と彼は理解できないとでも言うようにあたしを見た。そしてあたしに手を差し伸べた。





「寒いだろ……?揚がって来い。」





あたしは手なんかもちろんのこと出さない。 彼はイライラしながらホラ、と言った。





「あたし死ぬ気だったのにあなたのせいで台無しになったわ。早く放して。 ってかこの気持ち悪い触手何!?」



「悪かったな。気持ち悪くて。」





オレのペットだ。と彼が信じられないことを言ったかと思うとあたしは解放される。





「放してくれてどうもありがとう。ついでにあたしを殺して。 自分で沈むことも叶わないの。それもこれもあなたに自殺の邪魔をされたからよ。苦しいのは嫌だから一思いにお願い。」





はぁーっと長い溜息をつくと、見知らぬ男である彼は一言アンタバカだろ?と言った。
当然のことながらあたしは初対面の人に向かって失礼ね、と返してやる。





「もうわかったから舟に乗れって。中がぬれたってそんなこと構わないから。」



「あたしは始めからあなたの舟の心配してなんかいないわ。 ただ死にたいだけなの。だから早く殺し



「いい加減にしろっ!!」





彼はあたしが話し終える前に表情を一気に変えると、叫んだ。





「オレはもうこれ以上無関係な人間を殺したくない。ただそれだけなんだ。」





気圧されてしまった。
あたしは黙る。
彼は無言で手を出して、あたしの無抵抗の腕を掴んで引き寄せた。





「オレはスカル。あんたは?」



「えっ……?」



「名前だよ、名前。」





さっきまでの表情とのギャップに驚く。
気弱そうな表情から殺したくないとか言いながら人でも殺せそうな表情になって、そして今は頬を赤らめている。
不思議な人だ。





「あっ…… 。」





そうか……。
彼はそう呟くとふわり、と優しく笑った。
また表情が変わった……とあたしは薄らぼんやりと思った。





「もう死にたいなんて言うなよ。」



「……」



「誰かのためにいきることを考えろよ。」



「……」



「そう……たとえば……オレ、とか?」





笑えない冗談だ、とあたしが言うと彼はやっぱり?と言って頭を掻いた。





「嘘だよ、スカル。」





彼は目を丸くしてこっちを見た。
あたしそんな特別なことしたつもりはないよ。と言いかけて止まる。










「あのね、


水底から見える光


ってとってもきれいだよ。」





そうか。でももう見るなよ。と彼は言うと穏やかな波を立てる海を眺め始めた。
無理だよ。
光は、、なんだから。